大根の味噌汁

子供の頃

鍵っこの僕は
友達の家でご飯を食べることが
良くあった

友達のお母さんは
とても美人でやさしい人だったけれど

時々目や鼻に殴られた跡があった

旦那がギャンブル狂いの大酒飲みで
気にくわないことがあると
奥さんに暴力をふるっていたのだ

でも彼女はいつもやさしく笑っていた

僕は彼女が台所で大根をとんとん、
と包丁で切っている姿を
今でも思い出すことができる

とてもやさしい笑顔で
どうしてそんな笑顔ができるのか

僕は子供ながらに
女の人は悲しくても笑えるのだと
こわく思っていた

おばさんはどうして笑えるの?
おばさんは幸せなの?
そう聞けなくて

僕は黙っておばさんの作ってくれた
あったかい大根の味噌汁をすすった

れいくんは本当に良い子ね

そう言われると涙があふれそうになった

今でもつらい時
そのおばさんの姿を思い出す

とんとん、と大根を切って
味噌汁を作ってくれた

おばさんの笑顔を思い出す

兄弟

山手線で

小学生のお兄ちゃんと
まだ小学生にあがる前の弟ちゃんがいて

席が空いたらお兄ちゃんが
さっと座って

「お兄ちゃん、ずるい」
「大人が先に座るのは当たり前だろ」
「お兄ちゃん、大人じゃないじゃん」
「お前より大人だろ。ガキは立ってろ」

しょんぼり立ってる弟ちゃん

次の駅で人が降り、
お兄ちゃんの隣の席が空いたら
嬉しそうに座る弟ちゃん

微笑ましい光景だと思った

静かな時間

同じ職場の人が
うつ病と診断され職場を去った

そして彼がしていた仕事が
全部僕のところに来た

その人が去ったら
あなたがやるのが当たり前でしょ
よろしくね

そんな感じだった

当然夜になっても僕の仕事は全然終わらない

「大変だねぇ、がんばってねぇ」と声をかけ
みんなさっさと帰っていく

誰もいなくなった職場で一人
仕事をしていたら

彼からひとこと、メールが来た

本当にごめんなさい

気にしなくていいですよ、
今はゆっくり休んでください

そう、返した

やることを整理すること

あぁやることがいっぱいある
 
そう思うと目の前が真っ暗になりそうになる
 
そんな時は時間をかけてやることを整理する
 
整理すると本当にやらなければいけないことが
分かってくる
 
やらなければいけないと思い込んでいたことは
やらないにして
 
本当にやらなければいけないことの中で
どの作業から進めたら良いかを考える
 
基本、自分が球を持っていることで
人を待たせてしまっているものから先に片付ける
 
ここに書いていることは基本中の基本だけれど
 
あぁもういやだぁと言っている人たちは結構いて
 
どんな時でもひとつひとつていねいに整理し
処理をしていけばいつかは終わる
 
そう思えると不安が消えて前向きに進めることが
できると思う
 
と、自分に言い聞かせている

誰がどう見ても大変な状況

誰がどう見ても大変な状況の人を見た時

つい、大変だねぇとつぶやいてしまう

でも、その大変だねぇはしょせん他人事だ

大変な状況に自分がある時
元気でいるのはなかなか大変だ

そう、客観的に書いてみても
気持ちはなかなか晴れることはない

人は簡単に人を責めるけれど
自分だけは自分を責めないように

そして

大変な人に気軽に大変だねぇなんて言わず
そっと寄り添えるように

なれたらと思う

ベートーベンの悲愴 第2楽章

ベートーベンの悲愴 第2楽章は
どんな怒りも心のざわめきも
落ち着かせてくれる、そんな音楽だ

心が意思を越えて感情をあふれさせ
制御不能に思える時は

どんなに考えても
人の意見に耳を傾けても
いやされることはない

ただ静かに
じっと静かに音楽に耳を傾ける

意味じゃない
音楽なのだと思う

人のために死んではいけない

プロジェクトの成功のためなら
一人や二人倒れても仕方がない
そう思えなければリーダーは務まらない

昔そう言われ、

だったらやめます、と言って
マネジメントの仕事を降りたことがある

今日、また同じようなことを言う人がいて
なんというか、、、

団塊の世代と呼ばれる世代の人の中には
価値を提供できないなら死ねだの
逃げられると思ったら大間違いだの

時代錯誤もはなはだしい言葉を
強圧的に言ってくる人がいる

僕はたいていはゆるやかに受け流すのだけれど
そういう勘違いな人に出会うと
怒りがこみあげてくる

価値を提供できなくても死ぬことはないし
逃げたければいつでも逃げていい

個人が組織や社会の犠牲になることはないし、
訳の分からないやつのために
ぼろぼろになる必要はない

生きとし生きるすべての人に
まずは自分の幸せを一番に考えてもらいたい